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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)98号 判決 1992年8月27日

福井県福井市中央二丁目六番八号

原告

株式会社 熊谷組

右代表者代表取締役

熊谷太一郎

右訴訟代理人弁理士

松永宣行

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官 麻生渡

右指定代理人

佐藤雄紀

田辺秀三

中村友之

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和五六年審判第五五一九号事件について平成二年二月八日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文と同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五一年一〇月二七日、名称を「山止め壁の構築方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和五一年特許願第一二八二〇二号)をしたところ、昭和五六年一月二一日拒絶査定を受けたので、同年三月二五日、これを不服として審判の請求をした。特許庁は、右請求を昭和五六年審判第五五一九号事件として審理し、昭和六〇年五月二二日、出願公告(昭和六〇年特許出願公告第二〇五三一号)したが、特許異議の申立てがあり、平成二年二月八日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をした。

二  本願発明の要旨

止水性を有する山止め壁の構築方法であって、安定液を満たしながら地中に溝孔を掘削し、前記山止め壁に作用する曲げ力および剪断力に抵抗する鋼管またはH形鋼を間隔をおいて前記溝孔内に挿入したのち、前記溝孔内の安定液を固化させて地中壁を形成し、次いで該地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を前記鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく、根切りをすることを含み、前記鋼管間またはH形鋼間の前記間隔は前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔であることを特徴とする、山止め壁の構築方法。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

2  これに対して、本願発明の特許出願前に国内において頒布された刊行物である「施工技術」第9巻第8号(昭和五一年八月一日発行)の表紙及び第四一頁から五〇頁まで(以下「引用例」という。)には、掘削用泥水をそのままの状態で所要強度の粘土状物質(ケイソイル)に硬化させるケイソイル工法に関して記載され、特に第四五頁には、このケイソイル工法の応用工法の一つである山止め工法として、あらかじめ泥水を満たしながら、トレンチを掘削し、シートパイルを入れ、溝内の泥水を固めて止水性を有する地中壁を形成し、その後に地中壁の一方の側で根切りをするK-S工法(ケイソイルーシートパイル山止め工法)が記載されている。また、第四二頁にはケイソイル工法に関して「なお、本工法では掘削溝孔内にPC板やH型鋼などの構造材を埋設する場合、これら埋設部材を所定の精度で溝孔内に設置した後、任意に固化作業をおこなうことができる」旨記載され、このケイソイル工法においては、掘削溝孔内に設置する構造材として、H形鋼を用いることも示唆されている。

3  本願発明と引用例に記載された発明(以下「引用発明」という。)とを比較すると、前記K-S工法は止水性を有する山止め壁の構築方法に関するものであって、同工法における「地中壁」、「泥水」、「トレンチ」は、本願発明における「山止め壁」、「安定液」、「溝孔」に各々相当し、またK-S工法におけるシートパイルは山止め壁に作用する曲げ力および剪断力に抵抗する構造材と認められるから、両者は、止水性を有する山止め壁の構築方法であって、安定液を満たしながら地中に溝孔を掘削し、前記山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に抵抗する構造材を前記溝孔内に挿入したのち、前記溝孔内の安定液を固化させて地中壁を形成し、次いで該地中壁の一方の側で、根切りをすることを含む山止め壁の構築方法である点で、その構成が一致し、以下の点において相違している。

(1) 本願発明が溝孔内に鋼管またはH形鋼を間隔をおいて挿入するのに対し、引用発明では溝孔内にシートパイルを間隔を設けることなく挿入する点。

(2) 本願発明が鋼管間またはH形鋼間の間隔を安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔としているのに対し、引用例にはそのような間隔について記載されていない点。

(3) 本願発明が鋼管間またはH形鋼間に横矢板のような二次部材を挿入することなく根切りをするのに対し、引用例には、根切りに際し、そのような二次部材の挿入の有無について記載されていない点。

4  そこで、前記相違点について検討する。

(一) 相違点(1)について

引用例の第四二頁には、ケイソイル工法では溝孔内に挿入する構造材としてH形鋼を用いることを示唆する記載があり、また、この種の地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することは、本願の出願前に周知の技術(例えば、特開昭五〇-二五〇一〇号公報(「以下「第一文献」という。)、特公昭四八-三六七六七号公報(以下「第二文献」という。)等参照)であるので、引用発明において、溝孔内にシートパイルを挿入することに代えて、H形鋼を相互に間隔をおいて挿入し、本願発明と同じ構成のH形鋼挿入構成を得ることは、当業者であれば容易になし得られることと認められるから、この相違点に格別の発明を認めることができない。

(二) 相違点(2)について

鋼管間またはH形鋼間の間隔をどの程度にするかは、山止め壁を構築する場所の地質、山止め壁に作用する土水圧等を勘案して決定すべき設計的事項であり、前記間隔を安定液の固化物が鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔とすることは、山止め壁として機能させるために山止め壁の設計に際して当然に考慮すべき技術事項であると認められるから、この相違点にも格別の発明を認めることができない。

(三) 相違点(3)について

横矢板のような二次部材をH形鋼等の鋼材間に挿入することなく根切りを行うことは、本願の出願前から普通に行われている周知の技術(例えば、「建築技術」二一〇号・昭和四四年二月一日発行の第八二頁の図11、第八五頁左欄第六行ないし第九行(以下「第三文献」という。)参照)であるので、本願発明のように横矢板のような二次部材を鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく根切りを行うことは、当業者であれば容易になし得られることと認められるから、この相違点にも格別の発明を認めることができない。

(四) そして、本願発明は、全体としても引用発明及び周知技術から予測される以上の作用効果を奏するものとは認められない。

5  したがって、本願発明は、引用発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

引用例に審決認定の事項が記載及び示唆されていること、本願発明と引用発明との一致点(但し、引用発明の地中壁が本願発明の山止め壁に相当する、との点を除く。)及び相違点が審決認定のとおりであることは認めるが、審決は、本願発明と引用発明との相違点(1)ないし(3)についての判断を誤り、かつ、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した結果、本願発明は引用発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明できたものと誤って判断し、さらに、特許法一五九条二項、五〇条の規定に違反してなされたものであるから、違法であって、取り消されるべきである。

1  取消事由1-相違点(1)及び(2)に対する判断の誤り

(一) 審決は、相違点(1)の判断に際し、「この種の地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することは本願の出願前に周知の技術である」としているが、審決がいう「地中壁」とは、引用例記載のK-S工法において形成される壁体、すなわち、山止め壁の構築過程において形成されるもので、溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて形成するものを指している。したがって、「この種の地中壁」とは、溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて形成する地中壁と同種の地中壁を意味するものであるところ、周知例として挙示された第一文献及び第二文献に記載された技術は、溝の掘削後に、該溝内に硬化性の充填材を打設または注入し、これを固めて地中壁を形成するものであって、溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて地中壁を形成する技術とは、使用材料、地中壁の形成方法及び形成された地中壁の構造のすべてにおいて著しく相違している。したがって、第一文献及び第二文献は、溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて地中壁を形成する技術において、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することが、本願の出願前に周知の技術であることを裏付けるものではない。

この点に関して、被告は、審決における「この種の地中壁」とは、壁体の構築後において、その壁体の一方の側を根切って壁体を最終的に山止め壁として利用する目的で構築される地中壁を意味するものであって、溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて形成する地中壁と同種の地中壁よりも広い構成の地中壁である旨主張する。しかし、審決は、本願発明についてであると引用発明であるとを問わず、山止め壁の構築過程において形成されるもののみを一貫して地中壁と称しているのであるから、「この種の」という形容句をつけたからといって、「この種の地中壁」を被告が主張するように解することはできない。

また、被告は、第一文献及び第二文献に記載の相互に間隔をおいて配置されるH形鋼等の鋼材は、山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に対して主に抵抗するために溝孔内に挿入設置されるものである点で、本願発明における鋼管またはH形鋼及び引用発明におけるシートパイルと同じ目的を有するものである旨主張するが、本願発明における鋼管またはH形鋼は、山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に対して主に抵抗するのではなく、これら土水圧に対する安定液固化物の抵抗強度を補う補強材である。

次に、引用例の四二頁には、ケイソイル工法では溝孔内に挿入する構造材としてH形鋼を用いることが示唆されていることは認めるが、引用例記載のK-S工法は、シートパイルを間隔をおかずに密接させて溝孔内に挿入するものであり、引用例には、密接挿入以外の挿入形態については一切開示されておらず、間隔おき挿入についての示唆もないのであるから、引用例の四二頁に示唆されている前記事項に基づいて得られる構成は、ケイソイル工法においてH形鋼を密接させて溝孔内に挿入する構成であるにすぎない。

被告は、引用発明における泥水固化物は本願発明における安定液固化物と同等の山止め壁に作用する土水圧抵抗機能を発揮するものであることからみて、引用発明において、シートパイルに代えて溝孔内にH形鋼を間隔をおいて設置した場合においても、H形鋼間にある泥水固化物が本願発明における安定液固化物と同じく土水圧抵抗機能を発揮するものであることは、当業者であれば容易に予測できることである旨主張する。しかし、引用発明における泥水固化物は、泥水固化物より強度の大きいシートパイルにより全面的に覆われており、他方、本願発明におけるH形鋼間の安定液固化物は、全面的に露出して何ものによっても覆われていない。仮に、シートパイルによって全面的に覆われた泥水固化物が土水圧抵抗機能を発揮するとすれば、何ものによっても覆われていない安定液固化物は土水圧抵抗機能を発揮しないと考えるのが自然である。したがって、シートパイルに代えてH形鋼を間隔をおいて設置した場合において、H形鋼間にある泥水固化物が本願発明における安定液固化物と同じく土水圧抵抗機能を発揮するとは到底予測できないことというべきである。

以上のとおり、溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて形成する地中壁と同種の地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することが本願の出願前に周知の技術であったとはいえず、また、引用例には、構造材を密接挿入以外の形態で挿入することについての開示はなく、間隔おき挿入の示唆もないのであるから、相違点(1)につき、引用発明において、溝孔内にシートパイルを挿入することに代えて、H形鋼を相互に間隔をおいて挿入し、本願発明と同じ構成のH形鋼挿入構成を得ることは、当業者であれば容易になし得られることであるとした審決の判断は誤りである。

(二) 本願明細書の特許請求の範囲には、「前記鋼管間またはH形鋼間の前記間隔は前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔である」ことが本願発明の構成要件として記載されているが、右構成要件における「前記間隔」とは、「鋼管またはH形鋼を間隔をおいて前記溝孔内に挿入し」という別の構成要件における「間隔」のことであるから、前記構成は、「鋼管またはH形鋼を前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔をおいて前記溝孔内に挿入」するということになるが、この構成は、「地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を前記鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく、根切りをすることを含み」という構成要件とも関連し、形成された地中壁において、安定液の固化物が、止水機能及び鋼管またはH形鋼により補強された土水圧抵抗機能の双方を発揮し、根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工のみで掘削を行うことを可能にするものである。従来のように、横矢板のような二次部材を鋼管間またはH形鋼間に挿入して根切りをする場合には、使用する横矢板の強度に照らして鋼管間またはH形鋼間の間隔を決定することができ、また、一般的にはそのようにしているが、本願発明のように、安定液の固化物が止水機能及び鋼管またはH形鋼により補強された土水圧抵抗機能の双方を発揮し、根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工のみで掘削を行う場合においては、審決が説示するような、「鋼管間またはH形鋼間の間隔を安定液の固化物が鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔とすることは、山止め壁として機能させるために山止め壁の設計に際して当然に考慮すべき技術的事項である」とは一概にはいえないのである。

相違点(2)に係る本願発明の前記構成が、「地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を前記鋼管またはH形鋼に挿入することなく、根切りすることを含み」という構成と関連していることに着目することなくなされた相違点(2)に対する審決の判断は誤りである。

2  取消事由2-相違点(3)に対する判断の誤り

審決は、横矢板のような二次部材をH形鋼等の鋼材間に挿入することなく根切りを行うことは本願の出願前から周知の技術であるとして、第三文献を挙示しているが、右文献に記載されている技術は、横矢板を使用するばかりでなく、横矢板を補強するアンカーをも使用して根切りをするものであるから、前記技術が本願の出願前から周知のものであるということはできない。

したがって、前記技術が周知のものであることを前提として、本願発明のように横矢板のような二次部材を鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく根切りを行うことは当業者であれば容易になし得られることであるとした、相違点(3)に対する審決の判断は誤りである。

被告は、乙第五号証(米国特許明細書第三四一二五六二号)及び第六号証(特開昭五一-六一一二二号公報)にも横矢板をH形鋼間に入れることなく根切りを行うことが記載されている旨主張するが、右各号証のいずれにもそのようなことは記載されていない。そもそも、安定液の固化物と間隔おき配置のH形鋼等の鋼材とからなる構造の壁体が、これに作用する土水圧に十分抵抗することができるとは何人も予測し得なかったことであるから、根切りに際して、その鋼材間に横矢板を挿入する必要がないことが当業者にとって明らかなことではない。したがって、仮に、コンクリートとH鋼とからなる一般的な構造の壁体において、H鋼間に横矢板を挿入しないで根切りすることが周知であったとしても、本願発明における安定液の固化物とH形鋼等の鋼材とからなる構造の壁体において鋼材間に横矢板を挿入しないで根切りを行うことは、当業者にとって容易になし得ることではない。

3  取消事由3-作用効果の看過

本願発明に係る山止め壁の構築方法によれば、地中壁形成工程を行うことにより、止水性と土水圧抵抗強度を有する掘削可能の安定液固化物と、この安定液固化物の土水圧抵抗強度を補う、間隔をおいて配置された補強材(鋼管またはH形鋼)とからなる地中壁が形成され、次に、根切り工程を行うことにより、安定液固化物及び補強材が根切り側で露出し、安定液固化物は、露出側とは反対の側に作用する土水圧に対し、止水機能と補強材により補強された土水圧抵抗機能を発揮する。このように、本願発明は、溝孔の掘削に用いた安定液が満たされた溝孔内に鋼管またはH形鋼(補強材)を間隔をおいて挿入したのち、安定液を固化させて地中壁を形成することを、その構成に欠くことのできない事項とすることによって、安定液の固化物が形成する地中壁が止水機能及び鋼管またはH形鋼により補強された土水圧抵抗機能の双方を発揮し、根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工の設置のみで掘削を行うことができ、作業能率を向上させることができる、という作用効果を奏する。この作用効果は、引用発明、第一ないし第三文献記載の技術によっては奏し得ない格別のものである。

被告は、引用例記載のK-S工法における泥水固化物も止水機能及び土水圧抵抗機能を発揮する旨主張する。しかし、右工法によれば、完成した山止め壁においてはシートパイルのみが壁面に露出し、泥水固化物はシートパイルの裏側にあって露出しないのであるから、シートパイルが山止め壁に抵抗する機能を発揮し、泥水固化物は山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能を発揮することはない。また、K-S工法は、構築する山止め壁の構造においてK-P工法と著しく相違するのであるから、K-P工法における泥水固化物が山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能を有するからといって、K-S工法における泥水固化物も山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能を発揮するということにはならない。安定液(または泥水)固化物の、山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能とは、当該固化物の性質をいうのではなく、当該固化物が山止め壁においてある部位(山止め壁の裏面から反対側の表面に至る間)を占めることによって果たす作用をいうのである。K-S工法における泥水固化物は、そのような部位を占めないのであるから、山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能を発揮することはできない。すなわち、泥水固化物がいかなる強度を有するといえども、その強度をもって土水圧に対抗するための構造的条件が満たされない以上、その泥水固化物は土水圧抵抗機能を発揮することができないのであり、K-S工法における泥水固化物は右のような部位を占めないから、山止め壁に作用する土水圧抵抗機能を発揮できないのである。

また、被告は、本願発明における鋼管またはH形鋼と、引用例に記載のK-S工法におけるシートパイルとは、山止め壁に作用する土水圧に対して主に抵抗する機能を有する構造材である点で共通するものである旨主張する。しかし、本願発明における鋼管またはH形鋼は、それらの間に位置する安定液固化物の土水圧抵抗強度を補う補強材であり、引用例に記載のK-S工法におけるシートパイルは、山止め壁に作用する土水圧にそれのみで抵抗する構造材であって、補強材ではない。すなわち、K-S工法における密接挿入のシートパイルは、土水圧に対して「主に抵抗」するのではなく、「それのみで抵抗」し、山止め壁を安定的に維持するもの(土水圧抵抗材)であり、他方、本願発明における間隔おき挿入の鋼管またはH形鋼は、土水圧に対して「主に抵抗」するのではなく、土水圧に対しての「安定液固化物の抵抗強度を補う」もの(補強材)である。

以上のとおりであって、本願発明は、引用発明及び周知技術から予測される以上の作用効果を奏するものとは認められないとした審決の判断は誤りである。

4  取消事由4-特許法一五九条二項、五〇条違反

審決は、本願発明は引用発明及び周知の技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであると判断したが、審判合議体は、周知技術認定の根拠とした第三文献については、原告(審判請求人)に事前に意見を述べる機会を与えることなく、右文献に基づいて周知技術を認定した。

右のとおり、特許法一五九条二項により準用される五〇条の規定に違反して、拒絶理由を事前に原告に通知することなくなされた審決は違法である。

被告は、審決においての周知技術の認定は本願の出願当時の技術水準を明らかにしたものであり、審決における周知技術の認定とこれに基づく容易推考性の判断は、新たな拒絶理由に当たらない旨主張するが、周知技術の認定は本願発明の容易推考性判断の基礎とされ、本願拒絶の理由を構成しているのであるから、右主張は理由がないものというべきである。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認める。

二  同四は争う。審決の認定判断は正当であって、審決に原告主張の違法はない。また、審判手続に原告主張の違法はない。

1  取消事由1について

(一) まず、相違点(1)についての検討に際して、本願発明と引用発明とに共通する技術分野を特定するに当たっては、<1> 一般に、「地中壁」は、その壁体の構築後において壁体の一方を根切ることなくそのまま壁体を止水壁として利用する目的で構築される地中壁と、その壁の構築後において壁体の一方の側を根切って壁体を最終的に山止め壁として利用する目的で構築される地中壁とに大略種別され、両者の地中壁の構築技術は、技術分野上区別されるものであること、<2> 本願発明と引用発明とが山止め壁の構築方法である点で共通し、かつ、相違点(1)が山止め壁の構築過程において形成される地中壁の構築に関してのものであることから、右<1>における後者の地中壁の構築技術の分野に特定して、本願出願前の技術水準を示すことが妥当である。そのため、審決は、技術分野を前記<1>における後者の地中壁の構築技術に特定するべく、「地中壁の構築」の前に「この種の」という形容句をつけて記載したものである。したがって、審決にいう「この種の地中壁」とは、壁体の構築後において、その壁体の一方の側を根切って壁体を最終的に山止め壁として利用する目的で構築される地中壁を意味するものであって、原告が主張する「溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めて形成する地中壁と同種の地中壁」よりも広い構成の地中壁をとらえているものである。

ところで、第一文献及び第二文献には、壁体の構築後において、その壁体の一方の側を根切って壁体を最終的に山止め壁として利用する目的で構築される地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することが各々記載されている。

したがって、「この種の地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することが、本願出願前に周知の技術である」とした審決の認定に誤りはない。

次に、(1) 引用例の四二頁には、ケイソイル工法では溝孔内に挿入する構造材としてH形鋼を用いることを示唆する記載があるが、右示唆に基づいて、引用発明において、構造材としてシートパイルに代えてH形鋼を溝孔内に挿入して設置するに当たっては、H形鋼を密接して設置するか、あるいは相互に間隔をおいて設置するかのいずれかであることは、それ以外の設置態様が考えられないことからみて、当業者であれば技術常識上容易に想到することであり、また、溝孔内に設置するH形鋼を、密接する場合も含めて、どの程度の間隔にするかは、山止め壁に作用する土水圧の大きさ等を勘案して設計者が山止め壁の設計に際して決定すべき設計的事項であること、(2) 引用発明における泥水固化物は、本願発明における安定液固化物と同等の山止め壁に作用する土水圧抵抗機能を発揮するものであることからみて、引用発明において、シートパイルに代えて溝孔内にH形鋼を間隔をおいて設置した場合においても、H形鋼間にある泥水固化物が本願発明における安定液固化物と同じく土水圧抵抗機能を発揮するものであることは、当業者であれば、容易に予測できたものであること、(3) 本願発明及び引用発明における地中壁と、「壁体の構築後においてその一方の側を根切って壁体を最終的に山止め壁として利用する目的で構築される地中壁」という点で同じ技術分野に属するこの種の地中壁の構築において、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することは、前記のとおり、第一文献及び第二文献に記載されているように周知の技術であり、右各文献に記載されている相互に間隔をおいて設置されるH形鋼等の鋼材は、山止め壁に作用する土水圧に対して、すなわち、山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に対して主に抵抗するために溝孔内に挿入設置されるものである点で、本願発明における鋼管またはH形鋼や引用発明におけるシートパイルと同じ目的を有するものであることからすると、引用発明において、溝孔内にシートパイルを挿入することに代えて、H形鋼を相互に間隔をおいて挿入し、本願発明と同じ構成のH形鋼挿入構成を得ることは、当業者であれば容易になし得られることである。

したがって、相違点(1)に対する審決の判断に誤りはない。

(二) 山止め壁として利用される地中壁の構築において、溝孔内にH形鋼を相互に間隔をおいて設置することは、前記のとおり本願出願前に周知の技術であり、また、本願発明において溝孔内にH形鋼を相互に間隔をおいて挿入するのは、山止め壁の構築方法ではあっても、地中壁を形成する構築過程の中で行うものであって、この地中壁を形成する構築過程と山止め壁として利用されるこの種の地中壁の構築構成とは、技術的に共通するものであって、格別区別する必要のないものである。してみれば、山止め壁の構築に際して溝孔内にH形鋼を相互に間隔をおいて配置すること自体が新規な構成であるとみることはできない。そして、鋼管間またはH形鋼間の間隔をどの程度にするかは、山止め壁を構築する場所の地質、山止め壁に作用する土水圧を勘案して決定すべき設計的事項である。

右のとおり、山止め壁の構築に際して溝孔内にH形鋼を相互に間隔をおいて配置すること自体は新規な構成とみることができず、H形鋼または鋼管等の鋼材間に止水性の固化物を配置することも、例えば、第一文献に記載されているように新規な構成ではない。そして、相互に間隔をおいて設置されたH形鋼と安定液の固化物とから構成される山止め壁において、H形鋼間に位置する安定液の固化物が土水圧により崩壊したのでは、山止め壁として機能しないことは明白であり、この山止め壁の設計に際し、H形鋼の間隔を決定するに当たっては、前記間隔を安定液の固化物がH形鋼間で崩壊しない間隔とすることは、当然に考慮すべき技術事項である。

したがって、相違点(2)に対する審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2について

第三文献の八二頁の図11及び八五頁左欄七ないし九行には、土丹層部分の山止め壁には、横矢板を親ぐいであるH形鋼間に入れることなく根切りを行うことが記載されており、この記載内容は、根切り場所の地盤が土丹層のような硬質地盤である場合には、本願出願前からH形鋼間に横矢板を入れることなく根切りを行うことが実施されていたことを意味している。そして、一般に、山止め壁を設置する地盤の土質及び根切り深さは、設置現場、設置場所等により異なる場合が多く、根切り深さが全高にわたり、土丹層のような硬質地盤である場合もある。したがって、第三文献に記載の技術は、根切り深さ全高にわたり、土丹層のような硬質地盤である場合には、根切り全工程において、H形鋼間に横矢板を入れることなく根切りを行うことが本願出願前から実施されていたことを示唆しているものである。さらに、乙第五号証及び第六号証にも、横矢板をH形鋼間に入れることなく根切りを行うことが記載されている。

したがって、横矢板のような二次部材をH形鋼等の鋼材間に挿入することなく根切りを行うことは本願の出願前に周知の技術であるとした上、本願発明のように横矢板のような二次部材を鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく根切りを行うことは、当業者であれば容易になし得ることとした、相違点(3)に対する審決の判断に誤りはない。

原告は、仮に、コンクリートとH形鋼とからなる一般的な構造の壁体において、H形鋼間に横矢板を挿入しないで根切りすることが周知であったとしても、本願発明における安定液の固化物とH形鋼等の鋼材とからなる構造の壁体において鋼材を挿入しないで根切りを行うことは、当業者にとって容易になし得ることではない旨主張する。しかし、第三文献及び乙第五、第六号証に記載の技術は、いずれも山止め壁の構築方法に関するものである点で本願発明及び引用発明と同じ技術分野に属するものであり、しかも、引用発明における泥水固化物は、本願発明における安定液固化物と同等の山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能を発揮するものであるから、安定液固化物と間隔をおき配置されているH形鋼の鋼材からなる壁体がこれに作用する土水圧に抵抗できるものであることは、引用例に記載の技術的事項に基づいて容易に予測できたことといえるから、原告の右主張は理由がないものというべきである。

3  取消事由3について

引用例に記載のK-S工法における地中壁を形成する泥水固化物は、本願発明における安定液固化物と同じように、止水機能の他に、山止め壁に作用する土水圧に対して抵抗する機能を発揮するものであり、また、引用例に記載のK-S工法におけるシートパイルと本願発明における鋼管またはH形鋼とは、山止め壁に作用する土水圧に対して主に抵抗する機能を有する構造材である点で共通するものである。したがって、安定液固化物と間隔おき配置のH形鋼の鋼材とからなる壁体が、これに作用する土水圧に抵抗できるものであることは、引用例に記載の技術的事項に基づいて当業者であれば容易に予測できたことである。

また、横矢板のような二次部材をH形鋼等の鋼材間に挿入することなく根切りを行うことは、前記のとおり本願の出願前から周知の技術であり、この周知の技術を適用した場合には、当然に根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工の設置のみで掘削を行うことができ、作業能率を向上させることができるという作用効果は、当業者であれば予測することができるものであるから、格別な作用効果とみることはできない。

更に、引用発明においても山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に抵抗する構造材は、あらかじめ安定液である泥水を満たしながら掘削された溝孔内に、泥水が未固化の状態の時に挿入されるものであるから、引用例に記載の構造材としてH形鋼を用いることの示唆に基づいて、構造材としてH形鋼を使用する場合には、使用される構造材が打撃を受けることがなく、従来工法におけるよりも肉厚の薄い断面性能のよい種々の鋼材を使用でき、山止め壁の経済的な施工が可能となるという作用効果を期待することができることは、当業者であれば引用発明から予測できるものである。

したがって、本願発明は、引用発明及び周知技術から予測される以上の作用効果を奏するものとは認められないとした審決の判断に誤りはない。

4  取消事由4について

本件審決においての周知技術の認定は、本願の出願当時の技術水準を明らかにしたものであるから、当業者が技術常識上当然に了知しているべき周知技術についてあらためて意見を述べる機会を事前に与える必要のないことは明らかである。

したがって、審決に原告主張の違法はない。

第四  証拠関係

証拠関係は本件記録中の書証目録記載のとおりである。

理由

一  請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。

二  本願発明の概要

1  成立に争いのない甲第六号証(本願発明の特許公告公報)及び第七号証(昭和六一年四月二五日付け手続補正書、以下「本願明細書」という。)によれば、本願発明の概要は次のとおりであることが認められる。

本願発明は、山止め壁の構築方法に関し、特に止水性を有する山止め壁の構築方法に関するものである。従来、止水性を有する山止め壁を構築するために、止水目的をもった接合部を備える鋼管矢板を連続的に打設する方法が実施されてきた。しかしながら、この方法によると、打撃に耐え得る肉厚を有する鋼管を必要とし、また、鋼管は隣接する鋼管との間にほとんど間隙がないほど近接して打設されることから、鋼材量は必然的に大きなものとなる。また、この方法では、鋼管接合部に十分な止水効果を期待することができず、しばしば漏水を生ずることがある。他の従来方法の一つである親杭横矢板工法では、山止め壁はまずH形鋼のような形鋼を間隔をおいて打ち込み、根切り掘削によって露出された形鋼間に二次的部材として横矢板を挿入することによって構築されるが、横矢板の挿入は多くの人手と時間とを要し、しかも止水効果を得ることができないといった問題がある。本願発明は、特許請求の範囲記載の構成を採用することにより、安定液の固化物を用いて地質の如何を問わず広く適用できる十分な止水性をもった山止め壁を構築し、また、山止め壁の構成要素である鋼材を間隔をおいて配置し、根切り時に横矢板のような二次部材を使わないで鋼材使用量及び作業量を軽減し、更に、山止め壁の構築に際しての騒音、振動等の軽減を図ることを目的としたものである。

2  ここで、本願発明の構築方法により構築される山止め壁の土水圧抵抗機能と止水機能は、鋼材と安定液固化物のいずれが分担するのかについても検討しておくこととする。

前掲甲第七号証によれば、本願明細書の特許請求の範囲の欄には、「山止め壁に作用する曲げ力および剪断力に抵抗する鋼管またはH形鋼を間隔をおいて前記溝孔内に挿入すること」が本願発明の構成要件として記載されていることが認められ、右記載によれば、本願発明においては、H形鋼等が山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に抵抗することを目的として溝孔内に挿入されるものと認めるのが相当である。また、同号証によれば、本願明細書の発明の詳細な説明の欄には、「鋼材と安定液の固化物とを一体化させ、該固化物が壁の止水効果を達成し、また鋼材が山止め壁に作用する曲げ力および剪断力に対しての強度を補う」(三頁八行ないし一一行)、「この山止め壁の耐圧強度は主として鋼管12の曲げ、剪断強度によるところであるが」(五頁一行ないし三行)と記載されていることが認められ、右記載によれば、安定液の固化物が、鋼材に補強されて山止め壁に作用する曲げ力及び剪断力に対しての強度に関与することがないとはいえないまでも、主として、安定液の固化物が止水機能を、H形鋼等の鋼材が土水圧抵抗機能をそれぞれ分担するものと認めるのが相当である。

三  審決取消事由に対する判断

引用例に審決認定の事項が記載及び示唆されていること、引用発明の地中壁が本願発明の山止め壁に相当するとの点を除き、両発明の一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがなく、前掲甲第七号証、成立に争いのない甲第二号証(引用例)によれば、引用発明の地中壁が本願発明の山止め壁に相当するものであることが認められる。そこで、以下に原告主張の取消事由について順次検討する。

1  取消事由1について

(一)  相違点(1)に対する判断について

(1) 成立に争いのない甲第三号証(第一文献)及び第四号証(第二文献)によれば、第一文献は昭和五〇年三月一七日に公開され、第二文献は昭和四八年一一月七日に公告されたものであり、両文献には、山止め壁の構築に関し、溝孔内にH鋼を相互に間隔をおいて設置し、右間隔に充填剤を打設充満して地下に連続壁を形成する方法が周知の技術として示されていることが認められるところ、右技術がいずれも山止め壁の構築方法に係るものである以上、形成された地下連続壁の一方の側を根切りするものであることは明らかである。

(2) 引用例の四二頁には、ケイソイル工法に関し、「本工法では掘削溝孔内にPC板やH形鋼などの構造材を埋設する場合、これら埋設部材を所定の精度で溝孔内に設置した後、・・・」と記載されていることは当事者間に争いがないが、この記載からはH形鋼を溝孔内に密接して配置するのか、間隔をおいて配置するのか明らかではない。また、前掲甲第二号証によれば、引用例には、各種の構造材を使用した各種のケイソイル工法が記載されているが、H形鋼が使用されているK-J工法を除いて、H形鋼以外の構造材を用いており、それらの構造材はいずれも密接配置されていることが認められる。一方、やはり甲第二号証によれば、引用例記載のK-J工法では、H形鋼の建込みは、引用例の四二頁にH形鋼が埋設されるものとされている「溝孔内」ではなく、アースオーガーによって穿孔された孔になされていることが認められるところ、アースオーガーによって穿孔されたものは溝孔とはいえないことからすると、引用例の四二頁に記載されているH形鋼はK-J工法に使用されるものを指しているものとは認められない。

ところで、H形鋼は、山止め壁の構築方法に限らず、様々な分野においてごく普通に使用されているものであり、断面をH型としたことによって、断面係数が大きく、一本当たりの曲げ強さが大きいものであるから、通常、密接して設置する技術的必要性に乏しく、間隔をおいて設置しても、その使用目的を達することが多いのであり、もし、原告が主張するように、引用例記載のケイソイル工法においてH形鋼を使用する場合でも、密接して配置するものに限定されるとすると、H形鋼によって必要以上の土水圧抵抗機能を与えることになり、このことは、必要以上の鋼材を使用することとなるから、経済的にみて不合理である。また、構造材を密接配置して使用する場合には、壁面方向の面積も狭いH形鋼を敢えて使用せず、全体として適当な土水圧抵抗機能を発揮するものとして、シートパイル等の被覆面積が大きな構造材を使用するとみるのが自然である。これらのことを総合すると、引用例に記載されたケイソイル工法において、H形鋼を使用する場合には、間隔をおいて配置することが全く排除されているものと解するのは相当ではなく、むしろ、このようにする蓋然性の方が高いものというべきである。

(3) このように、引用例に記載されたケイソイル工法において、H形鋼を使用する場合には、間隔をおいて配置することが排除されているとは考えられないこと、前記のとおり、一方の側で根切りして山止め壁とする連続した地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて配置することは、本願出願前に周知の技術であること、更に、本願発明の山止め壁の構築方法におけるH形鋼等の鋼材は、二項で認定したとおり、主として土水圧抵抗機能を発揮するものであるところ、第一文献及び第二文献に記載の技術におけるH形鋼等の鋼材も本願発明における鋼材と同じ機能を有していることは明らかであること(特に、前掲甲第三号証によれば、第一文献には、「連続壁Aは、土圧(荷重)をH鋼3・・・で受けるように、H鋼の数とその間隔lを構築しうる連続壁の大きさ(面積)又は地層の条件等により決定して剛性を持たせ、充填材5を止水壁とする。」(二頁左欄一一行ないし一五行)と、H鋼が土水圧抵抗機能を発揮するものであることが明記されていることが認められる。)を総合すると、原告主張のように、地中壁形成に当たり、引用発明が溝の掘削に用いた泥水を溝内で固めるのに対し、第一文献及び第二文献記載の技術が溝掘削後に溝内に硬化充填剤を注入してこれを固めるという点で異なるとしても、引用発明において、溝孔内にシートパイルを挿入することに代えて、H形鋼を相互に間隔をおいて挿入し、本願発明と同じ構成を得ることは、当業者であれば容易になし得られることと認めるのが相当であって、相違点(1)に対する審決の判断に誤りはない。

(四)  なお、成立に争いのない甲第一号証によれば、当事者双方がその意味を問題としている、審決が用いた「この種の地中壁」なる語句は、「前記甲第二号証刊行物(引用例)の第四二頁には、ケイソイル工法では溝孔内に挿入する構造材としてH形鋼を用いることを示唆する記載があり、またこの種の地中壁の構築に際して、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することは、本願の出願前に周知の技術である」という説示の中で用いられていることが認められる。

しかして、一般に、地中壁は、<1>その壁体の構築後において壁体の一方を根切ることなくそのまま壁体を止水壁として利用する目的で構築される地中壁と、<2>その壁体の構築後において壁体の一方の側を根切って壁体を最終的に山止め壁として利用する目的で構築される地中壁とに大別されること(このことは、成立に争いのない乙第二号証の一ないし三、第三号証及び第四号証により認めることができる。)、本願発明と引用発明とは、止水性を有する山止め壁の構築方法である点で共通し、いずれも右<2>の技術分野に属する地中壁の構築方法であるが、本願発明においては溝孔内に鋼管またはH形鋼を間隔をおいて挿入するのに対し、引用発明においては溝孔内にシートパイルを間隔を設けることなく挿入するという山止め壁の構築過程において形成される地中壁の構築に関して相違しているため、審決は、右相違点を判断するに当たって前記説示をしたものであることからすると、審決は、当裁判所と同じ見解の下に、右共通する技術において、溝孔内にH形鋼等の鋼材を相互に間隔をおいて設置することが周知であると説示したうえ、この技術を引用発明において溝孔内にシートパイルを挿入することに代えて、H形鋼を相互に間隔をおいて挿入する本願発明の構成に転用することが容易であると判断したものと解せられる。審決の措辞は必ずしも適切とはいえないが、その判断自体に結論として誤りはない。

(5) 以上によれば、相違点(1)に関して取消事由として主張するところは理由がない。

(二) 相違点(2)に対する判断について

原告は、本願発明における「鋼管間またはH形鋼間の前記間隔は前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔である」という相違点(2)の構成は、「地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を前記鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく、根切りをすることを含み、」という相違点(3)に関する構成とも関連しているのに、審決は、この点に着目することなく、前者の構成は山止め壁として機能させるために山止め壁の設計に際して当然に考慮すべき事項であるとしたものであって、相違点(2)に対する審決の判断は誤りである旨主張するので、この点について検討する。

前掲甲第七号証によれば、本願発明において、山止め壁の構築の過程で形成された地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を挿入することなく根切りをすることができる理由について、本願明細書には、「安定液の固化物と鋼材とにより構成される連続壁が予め地中に形成されることから、根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工のみで掘削を行うことができ、」(本願明細書の五頁一八行ないし六頁二行)と記載されていることが認められる。この記載は、安定液の固化物と鋼材とによって、二次部材を使用しなくても根切りをすることができる程度の強度が山止め壁に与えられているということを意味するから、地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を前記鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく、根切りをするという構成が可能となった理由は、「鋼管間またはH形鋼間の前記間隔は前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔である」という構成と関連しているものというべきである。したがって、前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔とは、横矢板のような二次部材を前記鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく、根切りをすることができる間隔であるということになる。

しかし、審決は、本願発明と引用発明とを対比するに当たり、本願発明における「鋼管間またはH形鋼間の前記間隔は前記安定液の固化物が前記鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔である」という構成と、「地中壁の一方の側で、横矢板のような二次部材を前記鋼管間またはH形鋼間に挿入することなく、根切りすることを含み」という構成とを各別に対比の対象とし、相違点(2)、(3)として判断を加えていることは、審決の理由の要点により明らかである。

ところで、間隔をおいてH形鋼等の鋼材を打ち込み、根切り掘削する方法において、根切り掘削により露出された鋼材間の壁部分に二次部材として横矢板を挿入するのは、右露出部分の崩壊を防止することを目的とするものであることは、前記本願明細書の記載及び経験則に照らして明らかであり、本願出願前、当業者間において周知の技術的事項であると認めることができる。したがって、地中壁の一方の側で鋼材による土水圧抵抗機能を高めれば、横矢板のような二次部材を鋼材間に挿入することなく根切りをすることができることは、右の周知の技術的事項から当業者にとって容易に知り得るところである。この事実と前記二項において認定したとおり、H形鋼等の鋼材は土水圧に抵抗することを目的として配置されているものであることからすれば、溝孔内に挿入されるH形鋼等の鋼材が主として土水圧抵抗機能を分担し、安定液の固化物が主として止水機能を発揮する本願発明の山止め壁の構築方法において、鋼材が主として分担すべき土水圧抵抗機能の点を考慮して、地中壁に作用する土水圧が大である場合には、鋼材間に位置する安定液の固化物が崩壊しない程度に鋼材の間隔を狭くし、全体として地中壁の強度を大にして、土水圧が小である場合には、それに応じて右固化物が崩壊しない程度に間隔を広くして、右間隔に二次部材を使用することなく根切りができる構成を得ることは、当業者が容易に想到し得たものと認めるのが相当である。

よって、鋼管間またはH形鋼間の間隔をどの程度にするかは、山止め壁を構築する場所の地質、山止め壁に作用する土水圧等を勘案して決定すべき設計的事項であり、前記間隔を安定液の固化物が鋼管間またはH形鋼間で土水圧により崩壊しない間隔とすることは、山止め壁として機能させるために山止め壁の設計に際して当然に考慮すべき技術事項であると認められるから、相違点(2)に対する審決の判断に誤りはない。

(三)  以上のとおりであるから、取消事由1は理由がない。

2  取消事由2について

間隔をおいてH形鋼等の鋼材を配置して山止め壁を構築する工法において、鋼材間に二次部材を挿入することなく地中壁の一方の側で根切りをすることは、二次部材である横矢板に関する周知の技術的事項から当業者が容易に知り得ることであることは、前記1(二)に認定したとおりであるが、更にこの点について検討する。

まず、成立に争いのない甲第五号証(第三文献(昭和四四年二月一日発行))によれば、第三文献の八二頁図11には、二次部材をH形鋼等の鋼材間に挿入することなく根切りを行う方法が記載され、八五頁左欄六行ないし八行には、「土丹層部分の山止め壁には横矢板も入れずにいたが、土圧計に二二t程度しか生ぜず、根切深さ一六mに一段アンカーで不安感はまったくなかった。」と記載されていることが認められる。右記載によれば、第三文献には、軟弱地盤である場合には、二次部材をH形鋼間に挿入して根切りをするが、硬質地盤である場合には、二次部材をH形鋼間に挿入することなく根切りをすることができることが記載されているとみることができ、地質次第では、必ずしも二次部材を鋼管間またはH形鋼間に挿入して根切りをする必要がないことを示唆しているものと認められる。

次に、成立に争いのない乙第五号証によれば、米国特許明細書第三四一二五六二号(特許日一九六八年一一月二六日)には、トレンチ内にコンクリートといった硬化可能なセメント質材料と鋼製Hビーム部材により壁を形成した後に、その壁の片側から土を除去若しくは掘削することが、成立に争いのない乙第六号証によれば、特開昭五一-六一一二二号公報(昭和五一年五月二七日公開)には、地中に生コンクリートを充填した柱を連続的に築造し、その中にH鋼等を挿入して柱列の壁を造成した後に、その柱列の壁の内側を掘削することがそれぞれ記載されていることが認められる。右のとおり、乙第五、第六号証に記載されたものは、地中壁がH形鋼とコンクリートからなるものであるが、このような構造のものにおいて、二次部材をH形鋼間に挿入して根切りするとすれば、隣接するH形鋼間の硬化したコンクリートを敢えて破壊し、二次部材を挿入することができる間隙を作る必要がある。しかし、常識上、当業者がこのようなことを行うとは考えられず、右乙号各証に記載されたものの地中壁は、それ自体の強度が大で、壁体に作用する土水圧に十分抵抗できる構造のものである上、H形鋼間の間隔は地質や山止め壁に作用する土水圧の大小に応じて、H形鋼間のコンクリートが土水圧で崩壊しないものに形成されているとみるべきであることからして、右乙号各証には、鋼材間に二次部材を挿入することなく地中壁の一方の側で根切りをする旨の直接的な記載はないが、右乙号各証記載のものにおいては、鋼材間に二次部材を挿入することなく地中壁の一方の側で根切りをするものと推認するのが相当である。

以上のとおりであるから、間隔をおいてH形鋼等の鋼材を配置して山止め壁を構築する工法において、土水圧抵抗機能が高ければ、鋼材間に二次部材を挿入することなく地中壁の一方の側で根切りをすることが、本願出願前に周知の技術であったことは文献の上からも裏付けることができる。

この点について、原告は、安定液の固化物と間隔おき配置のH形鋼等の鋼材とからなる構造の壁体が、これに作用する土水圧に十分抵抗することができるとは何人も予測し得なかったことであるから、根切りに際して、その鋼材間に横矢板を挿入する必要がないことは、当業者にとって明らかなことではない旨主張する。

しかし、本願発明においては、溝孔内に挿入される鋼材が主として土水圧抵抗機能を分担し、安定液の固化物が主として止水機能を発揮するものであることは前記二項に認定のとおりであるから、安定液の固化物が止水機能と土水圧抵抗機能の双方を発揮し、鋼材が土水圧抵抗機能を補助するものであることを前提とする原告の右主張は採用できない。

以上のとおりであって、取消事由2は理由がない。

3  取消事由3について

原告は、本願発明は、特許請求の範囲に記載された構成を採用したことにより、安定液の固化物が形成する地中壁が止水機能及び鋼管またはH形鋼により補強された土水圧抵抗機能の双方を発揮し、根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工の設置のみで掘削を行うことができ、作業能率を向上させることができるという作用効果を奏する旨主張する。

しかしながら、本願発明においては、土水圧抵抗機能は主としてH形鋼等の鋼材が分担するものであり、安定液の固化物が、山止め壁に作用する土水圧に対しての強度に関与することは否定できないが、安定液の固化物は、主として止水機能を発揮するものである。そして、前掲甲第二号証によれば、引用例記載のK-S工法における地中壁を形成する泥水固化物が、本願発明における安定液固化物が発揮する右機能と同様の機能を発揮すること及び同工法におけるシートパイルは、本願発明における鋼材と同様に、山止め壁に作用する土水圧に抵抗する機能を有するものであることが認められる。また、根切り時に横矢板のような二次部材を取り付けることなく支保工の設置のみで掘削を行うことができるという作用効果は、安定液の固化物が鋼材間に位置していることのみによってもたらされるものではなく、主として鋼材が土水圧に抵抗する機能を有していることによるものであることは、前記2項において認定したところから明らかである。

したがって、本願発明において、安定液の固化物が形成する地中壁が止水機能及び鋼管またはH形鋼により補強された土水圧抵抗機能の双方を発揮するものであることを前提として、本願発明の作用効果は、引用発明及び周知技術からは予測し得ない作用効果であるとする原告の主張は採用できず、取消事由3は理由がない。

4  取消事由4について

既に述べたように、横矢板のような二次部材をH形鋼等の鋼材間に挿入することなく根切りを行うことは、本願出願前から周知の技術的事項から容易に知り得るところである。

原告が指摘する第三文献は、審決が参考例として挙示したものであるから、かかる文献を挙示したことが新たな拒絶理由を示したものということはできず、したがって、右文献については、特許法一五九条二項、五〇条の規定に従い、審判請求人である原告に対し、事前に意見を述べる機会を与える必要はないものというべきである。

よって、審決に原告主張の違法はなく、取消事由4は理由がない。

四  以上のとおりであって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 押切瞳)

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